マキシマダムの過剰な日常

マキシマダムの過剰な日常

ものが捨てられない。ミニマリストに憧れながら、ものに囲まれて生活するアラフォーが日常を綴ります。

ミニマリスト?プレッパー?明日はどっちだ?

こんばんは。マキシマダムの過剰な日常です。

 

 

コロナ 自粛 在宅勤務 gw ゴールデンウィーク

あっという間にGWが終わっていた。どこにも出かけず、ひたすら寝たり、片付けたり、テレビをみたり。。自堕落な生活をしてしまった。

 

 

この1ヶ月、外出を自粛したことで、いろいろ思うことがあった。とくに「ミニマリスト」という生き方について。

 

 

在宅勤務に伴い、机や椅子などの最低限の仕事環境が必要になった。リビングにテーブルはあるが、同居人がそこで仕事をしており使用できない(お互いが電話会議していると音が入るので)。すると、それまで捨てようと思っていたクッションや、まったく使っていなかったテーブルが、いま私の仕事を支えてくれた。

 

 

 

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また、私は普段ほとんど買い置きはしないのだが、同居人は「なくなってから慌てるのはいやだ」と 買い溜めをするタイプ。トイレットペーパーやマスク、食料品など、今回は同居人の買い溜めによりかなり助かった。

 

 

今回のコロナウイルスによる世界的な外出自粛をうけて、アメリカではアフターコロナには備蓄する人を意味する「プレッパー」が増えるのではないか、と言われている。

president.jp

 

たしかにアメリカの郊外だと、ガレージに備蓄品がたくさん置けそうだし、なんなら庭にシェルターを作ることもできそうだ。

 

 

 一方、私はというと。

今回、買い溜めた物で助かったことは事実なのだけれど。

 

 

これまでは、朝は起きてすぐ出かけることもあり、家にいるのは夜と休日だけだったが、自宅に長時間いると「狭い」「物が多い」「物に圧迫されている」と感じた。私は物に囲まれて安心するタイプではないらしい。狭いマンションに住んでいることも、そう感じる理由ひとつかもしれないが。

 

 

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おそらく、ミニマリストならば。

急に必要になった物も買えば済むこと。手持ちのものを無理やり使って間に合わせるより、もっと「今の生活にあった物」を揃えて、より快適な生活を手に入れようとするだそう。そして、どんなに気に入っているカフェテーブルよりも、仕事もできる機能的かつお洒落なダイニングテーブルを揃えるべきだ、そう判断できるのだろう。

 

ただ、私の性格的に「なんであの時捨ててしまったのだろう?」という後悔が、より快適な(はずの)生活を凌駕しそうな気がする。(こういうのを貧乏性というのだろう。)

 そんな自分の性格はそう簡単に変えられるものではなさそうだ。

 

 

ミニマリストに憧れながら、ミニマリストにはなれない、そんな自分にあった物との距離を、これからも探っていこう、そう思った。

 


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