こんばんは。マキシマダムの過剰な日常です。
あっという間にGWが終わっていた。どこにも出かけず、ひたすら寝たり、片付けたり、テレビをみたり。。自堕落な生活をしてしまった。
この1ヶ月、外出を自粛したことで、いろいろ思うことがあった。とくに「ミニマリスト」という生き方について。
在宅勤務に伴い、机や椅子などの最低限の仕事環境が必要になった。リビングにテーブルはあるが、同居人がそこで仕事をしており使用できない(お互いが電話会議していると音が入るので)。すると、それまで捨てようと思っていたクッションや、まったく使っていなかったテーブルが、いま私の仕事を支えてくれた。
また、私は普段ほとんど買い置きはしないのだが、同居人は「なくなってから慌てるのはいやだ」と 買い溜めをするタイプ。トイレットペーパーやマスク、食料品など、今回は同居人の買い溜めによりかなり助かった。
今回のコロナウイルスによる世界的な外出自粛をうけて、アメリカではアフターコロナには備蓄する人を意味する「プレッパー」が増えるのではないか、と言われている。
たしかにアメリカの郊外だと、ガレージに備蓄品がたくさん置けそうだし、なんなら庭にシェルターを作ることもできそうだ。
一方、私はというと。
今回、買い溜めた物で助かったことは事実なのだけれど。
これまでは、朝は起きてすぐ出かけることもあり、家にいるのは夜と休日だけだったが、自宅に長時間いると「狭い」「物が多い」「物に圧迫されている」と感じた。私は物に囲まれて安心するタイプではないらしい。狭いマンションに住んでいることも、そう感じる理由のひとつかもしれないが。
おそらく、ミニマリストならば。
急に必要になった物も買えば済むこと。手持ちのものを無理やり使って間に合わせるより、もっと「今の生活にあった物」を揃えて、より快適な生活を手に入れようとするだそう。そして、どんなに気に入っているカフェテーブルよりも、仕事もできる機能的かつお洒落なダイニングテーブルを揃えるべきだ、そう判断できるのだろう。
ただ、私の性格的に「なんであの時捨ててしまったのだろう?」という後悔が、より快適な(はずの)生活を凌駕しそうな気がする。(こういうのを貧乏性というのだろう。)
そんな自分の性格はそう簡単に変えられるものではなさそうだ。
ミニマリストに憧れながら、ミニマリストにはなれない、そんな自分にあった物との距離を、これからも探っていこう、そう思った。