マキシマダムの過剰な日常

マキシマダムの過剰な日常

ものが捨てられない。ミニマリストに憧れながら、ものに囲まれて生活するアラフォーが日常を綴ります。

カルテット 6話までを見て。

 

 

 

これまで、ドラマレビューなんて書いたことがなかったけれど。
そしてすでに6話だけど。
気持ちが盛り上がって治まらないので思いのままに書きつけてみる。


5話までの第一章を終え、ドラマは第二章へと突入した。
5話の終わりに、巻さんの夫役として工藤官九郎が出てきたことにも驚いたが、それだけではもちろん終わらない。6話は巻夫婦の出会いから失踪までが2人の口から語られた。

 

共通の出来事は、視点が変われば受け取り方も変わる。一緒にいる時間が増えれば増えるほど、二人の気持ちがすれ違っていく。二人の「好き」の量は増えも減ってっもいなくて、一方通行で移動していくよう。お互いを思うほどに、その流れは強くなっていくようだった。

 

真紀の語り口は、淡々としていてすべてを受け入れていた。それは失踪当日の「から揚げにレモン」をかけるか否か発言とともに「愛してるけど好きじゃない」という幹夫の本音を聞いたからだろう。それゆえに、幹夫の母親も「幹夫をあなたの前に連れてくる」と言わせるまでに誤解がとけても、真紀の心は変わらなかったのだろう。

一方、幹夫も語り口は淡々としているが、随所に自己擁護を感じさせた。演奏者としての真紀に憧れ、好意を持っていたのに。バイオリンもうやらないの?と声をかけたのに。彼女の世界は狭いから。好きだから嫌われたくない。だからそのとき思ったことを口に出さない。そうやって少しずつ心が離れていく。このままじゃだめだと思いながら。それは真紀への甘えだろう。

幹夫だけでなく真紀も、映画の登場人物を善か悪かで分けストーリーを単純化するという”幹夫にとっては”雑な楽しみ方をしたり、幹夫が好きだといった本を読まず鍋敷にするなど無頓着な面を見せる。「夫婦だから」ありのままでいい、というのもまた甘えだろう。
夫婦といえど、他人なのだから気持ちは口に出さなければ伝わらない。言わなくてもわかってくれるというのはお互いへの甘えなのだと思った。


第一章は、4人のついていた嘘が少しずつ明らかになりながらも、現実的なシーンの積み重ねによっておとぎ話のような夢の世界が展開されていた。
偶然会った4人は、ストーカー、恐喝、探偵、それぞれの目的を隠していた。さらに、夫の失踪、音楽一家の居場所のなさ、離婚家族への未練、親子の確執と、全員の家族が壊れた中であたかも家族のようなカルテット。ベンジャミン瀧田の嘘を暴くことで居場所を見つけたけれど、真紀が話した「キリギリス」の話は、幸せは続かないことの伏線にも感じた。


第二章が幕を開け、物語は急展開を迎えた。失踪し、お金を使い果たし、犯罪を犯して戻ってきた幹生。彼は今なお、現実に向き合わず、真紀に甘えている。そんな彼が殴られても守ろうとした真紀のバイオリンは一目ぼれした、失いたくなかった理想の真紀の象徴に思えた。

 

”偶然”の出会いによってたどり着いた軽井沢の別荘。”嘘を暴く”ことによって手に入れたレストランでの演奏。自分たちで手を加えた現実の中にある夢のような世界。そこに揺るぎのない現実を持ち込んでくる有朱が殺された(?)ことで、おとぎ話はまだまだ続いていくのか、また別の現実が襲ってくるのか。みぞみぞしながら待つしかない。